大人の恋、最後の恋の始め方

いくつになっても恋したい。本気の恋、最後のオンナになるために。

子どもを産まない選択って?

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私は妊娠出産経験はない。

たが、積極的に「産まない選択」をしてきた訳でもない。

たまたま、前の結婚のときは

「まだいいよね」

と言っている間に離婚する経緯になった。

30代後半に「出産願望」が一時的に強くなったが、

当時付き合っていた彼は

「まだいいんじゃない?」

だった。

そして、そのうち別れる経緯になった。

今のパートナーは、子どもが成人し親の責任からようやく開放されたので、

「残りの人生は子どもを計算に入れずに楽しみたい」

と明言している。

私も、今から子育てをして成人までの20年間を「ほぼ子ども中心」に回していくのは、

残りの人生をトータルで考えた場合厳しいと感じる。

65歳から「ふたりの人生」になっても、温泉巡りくらいで人生終わってしまう…

(まあ、元気さにもよるけれど。。。)

思い返せば、

「何がなんでも子どもがほしい」

という選択も

「何がなんでも子どもは要らない」

という選択もしないまま、気づいたら自動的に

「子どもがいない人生」

になっていた感じだ。

これを書いていて、自分の人生ながらとても奇妙な気がした。

なぜなら、私は一度も

「積極的に子どもを希望する男性」

と縁がなかったからだ。

「積極的に子どもを望む」

声を周囲(私自身の親や、元夫の親など)から押し付けられることもなかった。

これは、たまたまなのか?

それとも、私自身が無意識レベルで

「子どもは特に要らないオーラ」

を出していたのだろうか?

ただ言えることは、

「子どもを産まなかったこと」

に対して、

「人生経験をひとつ逃して残念だな」

という気持ちはあるが、

「罪悪感」

は、全くない。

「子どもを産まない」「子どもを産めない」

ことに罪悪感を感じる感覚もよくわからない。

私の遺伝子を残さなくては、日本や世界に大きな打撃を与える訳でもあるまいし…

私の感覚だけれど、

「女性は子どもを生むべきだ」

という社会的プレッシャー、男性からのプレッシャーは

年々薄れていると感じる。

結婚もまた同じだ。

周囲からのプレッシャーが薄れているということは、

「まあ、どっちでもいいのだけれど」

というスタンスでいると、

「持たない方向」

に流れるということだ。

川の流れがあるなら、放っておいても上流から下流に流れていくが、

流れがない池の中なら、自力で泳がなくてはどこにも辿り着かないのと同じだ。

あなたが

「子どもはほしい」

あるいは、

「結婚はしたい」

と望むなら、できるだけ早い時期、つまり20代からその方向にしっかり自力で泳ぐべきだ。

気づいたら、「産むことになっていた(できちゃった)」

あるいは、「産まないことになっていた(妊娠期逃しちゃた)」

なら、その事実を速やかに自分の人生に取り込み、「楽しみ」に変えるべきだ。

「産まないことになっていた」あるいは「要らないと決断した」

なら、変な罪悪感なんてとっとと捨てるべきだ。

幸か不幸か、社会的プレッシャーなんてもはやないのだから。

すでにない、過去の価値観で動いていたら、あなたの人生自体が取り残されてしまう。

もし、社会的プレッシャーがあるにしても、社会的プレッシャーによって自分の人生を左右されるなんて

はっきり断言するが、もはや時代遅れだ。

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