大人の恋、最後の恋の始め方

いくつになっても恋したい。本気の恋、最後のオンナになるために。

20代は薄っぺらい。薄っぺら40代は哀しい

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先日、成人式の集団を見て、ふと

「20歳か。薄っぺらいよな」

と、彼が呟いた。

別に悪意はなく、淡々とした口調で。

説明するのは難しいけれど、「くちばしが黄色い」という感じだろうか。

身体は一応大人だけど、まだ社会経験なんて皆無に近く、

自分が何者なのか、また、何者になりうるのかすらわからない。

だけど、「もう一人前のオトナなんだから!」と、いっちょ前に思っている。

そして、「一人前のオトナ」として扱われることばかりを主張する。

私もそうだった。

彼だってそうだったのだろう。

エネルギーはあるけど、不満と不安で常に苛立つ、そんな年代。

私はその倍以上を生きたけれど、20歳に戻りたいとは思わない。

今の方がずっといい。

20代は苦しい「自分とは何者なんだろう?」を探す時期

30代は、自分なりに決めた道を進む時期

40代は、刈り入れ期

50代は、残りの生き方を決める時期

だと思っている。

言い換えれば、

20代は「水脈」を探す時期

30代は、ひたすら井戸を掘る時期

40代は、水が出始めて、汲み出す時期

50代は、その水の今後の使いみちを感じる時期

だ。

40代、自分なりに実らせたもの、あるいは汲み出した水を 周囲にも惜しげなく与えていける

私はそんな40代にしたい、と思っている。

40代にもなって、

他の井戸に群がることばかり考えている人、

周囲から何かを奪うことばかり考えている人

あるいは、周囲に何かを奪われまいと必死で守りに入る人

「そういう40代」って哀しいよな…と思う。

泉の水も、井戸の水も、

たくさんの人が飲んだり汲んだりしたって、 そう簡単には枯れないものだ。

若いときには、そういう感覚がわからない。

たかだかコップの水を見て、他人より多いと自慢し、 他人より少ないと落ち込む。

20歳なら「薄っぺらいよな」で済む。

「ま、可愛いよな。そしてシンドイよな」

という暖かな共感の眼差しがあるから心配ない。

が、20代の倍近くを生きて、なおまだ

「コップ一杯の水」

にジェットコースターみたいになる人の相手なんて、だんだん誰もしなくなる。

人生は短く、私達は後半戦に入っているのだから。

あなたがもし、「私は誰からも愛されない」と思うなら、

あなたが「奪うこと」「守ること」に必死になっていないか確認した方がいい。

ハタチの倍近くも生きてきたなら、

あなたの中には「枯れない水脈」が必ずあるはずだ。

そして、心配しなくても、あなたごときから (もちろん「私ごとき」でもある)

そんな「奪ってやる」なんて、他人は考えていないものだ。

コップ一杯でも、二杯でも、惜しげなく与えて大丈夫。

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